その 生き方が下手
今日はアニメも楽しく見させてもらい、ほとんどの楽曲が好きな22/7という作品グループのライブイベントがあった。このイベントでは自分のTwitterのフォロワーの多くが盛り上がり、自分はいつも通りの事だがあまり興味を持つことができなかった。
こういう日はみんなと同じものをみんなと同じように楽しめない事にコンプレックスを感じる。
思い返してみると小さい頃からこうなってしまうような人生だった。
自分は4歳ぐらいまでは特撮アニメが好きな、みんなと同じような普通の男児だった記憶がある。事の発端は5歳のころにはアメリカに移住することになったことだと思う。
当時のアメリカの5歳児は当然ウルトラマンや仮面ライダーなんて見なかった。見たものといえばスポンジ・ボブやトムとジェリー、おくびょうなカーレッジくんであり、自分の好きだったものが誰にも通じない、そもそも言葉すら通じなかった。そんな幼少期だった。これから数年経って英語に馴染み、これらのアニメを楽しめるようになりこのまま人との趣味の共有できるような経験を積めればよかった。だがそうはならず、間もなく日本に帰ることになったのだ。
日本に帰ってからは体力がなかった自分を心配して親が部活に入れと言ってきた。親の言うことには逆らわない人間だったからなんとなくでサッカー部に入った。これが思った以上に響いていた。
部活は平日は週3で6時まで練習、毎週土日は朝から試合or練習があった。そのため夕方のアニメもあまり見れないし、土日の朝アニメなんてもってのほかだった。たまにTwitterのTLで流れる「昨日の○○見た?」の画像が今になって羨ましくてたまらない。
中学生になったら周りはみんなラノベや深夜アニメの話をしていた。自分は深夜にアニメがやってることを知らなかったしラノベも存在すら知らなかった、そんな話をできなくても話してくれる人がいたから少しは救われていた時期だったと思う。
ただみんながやっていたモンハンを年齢制限のため15歳まで親に買わせてもらえなかったのは大きな影響を与えたと思う。モンハン3rdで初めてモンハンを触ったんだけどみんなとやれるモンハンは本当に楽しかった。
高校生の頃はあまり思い出に残したくなかったのであまり覚えてない。ただ周りが飽きてやめたモンハンを一人でやりつづけ、遅ればせながらアニメとラノベにハマり、それらのコンテンツを卒業して勉強や恋愛に励んでいた他の人とずれていたような覚えがある。
大学は言わずもがなって感じだからもういい。
こういうことを考えると義務教育期間でみんなと同じ物を楽しむ経験は人格形成ですごく重要に思える。
自分も小学生の時に遊戯王を楽しみたかった。日曜の朝にはワンピースを見たかった。小6か中1の頃にモンハンをみんなとやりたかった。中学生で週刊少年ジャンプを読んで友人とBLEACHやナルトの話をしたかった。バカテスのラノベ読んだりとらドラ!やハルヒのアニメで盛り上がりたかった。
ただ全てそうはならなかったし、そういう星のもとに生まれてしまったのだろうと諦めている。
諦めているつもりなのにこの年になっても拭えない疎外感のようなものをいつか克服できればいいなと思います。